子どもたちの木


 ただでさえ、夜は暗くて怖いのに、今夜は、新月。
月の明かりさえ頼れない夜だった。
新一は、夜の闇の中、汗がじっとりにじんだ手で、ギュッとこぶしを握っていた。
頭まですっぽりかぶった布団の中では、自分の呼吸と、心臓の音が大きく聞こえている。
 (止めようか。)とふと思う。
でも、妹に対して、兄としての面子もあって、それは言い出せない。
今は、妹の加奈子が眠ってしまっていることだけを祈らずにはいられなかった。
 「お兄ちゃん、起きてる?」
なのに、加奈子は、小さな声で新一を呼んだ。
新一は、加奈子には聞こえないように小さく布団の中で舌打ちをする。
 二人は、むっくり起き上がると、顔を見合わせ、合図するように大きく一つうなずき合う。
そして、机の下に隠しておいた靴を取り出すと
音をさせないようにそっと窓を開け、新月の夜の中にスルリと降り立った。

 その大きな木は、広くはない空き地にそこ全部を見渡すかのように根を張っていた。
木の種類が何なのかは知らない。
分かっているのは、いつでも葉をいっぱいにたたえた頼りになりそうな枝振りと、
秘密の宝をいくらでも隠せそうなほどごつごつと盛り上がった根っこ。
それから、虫だの鳥だのを山ほど住まわせていることと、
自分たちのかっこうの遊び場だってことだけだった。
 この木についての話を仕入れてきたのは、加奈子だった。
「ねぇ、お兄ちゃん、空き地の大きな木の花って見たことある?」
少し興奮気味に聞く加奈子の問いに新一は記憶の中を探ってみた。
「あの木って、花咲くのか?」
そう質問を返すことで、答えた。
「私も知らなかったんだけど、実花ちゃんが見たんだって。
法事で夜遅くに帰って来たときに空き地の前を車で通ったら、
桜みたいに薄いピンクの花がたっくさん咲いてたんだって。
月のない暗い夜だったし、車でさっと通っただけだから、
見間違いかもしれないけどって、実花ちゃんは言ってたけど、」
「見間違いだよ。」
加奈子の言葉尻をひったくるようにして、新一は言った。
イヤな予感がしたからだった。そして、悪い予感と言うのは、得てして当たる。
果たして、加奈子は、途中でさえぎられても、気分を悪くする様子さえ見せずに続けた。
「そんなの、分かんないよ。もしかして、本当に咲くのかもよ。
私、確認しに行きたい。」
(ホラ来た!!)新一は、次に出てくるだろう言葉に身構えた。
「一緒に行こうよ。」
(やっぱり!そう来るよな。)心の中で、そっとため息をつく。
「ヤダよ。興味ない。」
平静を装って、新一がつっけんどんに答えた。
「暗いところが怖いんでしょ、お兄ちゃん。」
加奈子が図星を指して、新一はギクッとするが、ポーカーフェイスを装う。
「怖いわけないだろ?お前じゃあるまいし。オレ、男だよ?」
してやったりと加奈子がふふんと笑った。
「じゃあいいじゃない。見に行こうよ。次の月のない真夜中に。」
新一は”月のない夜”と言うところにぎょっとする。
「何で、月のない夜なんだよ。月がなかったらよく見えないじゃないか。
それに、真夜中ってなんだよ?何で真夜中なんだよ?」
「だって、実花ちゃんが花を見た日って新月の夜だったんだもん。
もしかして、月のない夜にしか咲かないかもしれないじゃない。
それに真夜中って言うのは、魔法の時間だからだよ!」
冗談じゃない!と新一は思う。
何が楽しくて、星明りだけの夜の中、人気のない空き地に
それも、気味の悪い真夜中なんぞに行かなきゃならないのだ?
それでなくても、暗闇が苦手なのに。でも、今更引くに引けない。
新一は加奈子の作戦にまんまと引っかかってしまったことにようやく気付いた。
地団太踏んでも遅すぎた。それでも、一応あがいてみる。
「加奈子、お前こそ怖いんだろ?暗い中一人で行くのがさ。」
(意地悪く言ったら、自分ひとりで行くって言うんじゃないか?
いや、是非ともそう言ってくれ!)
そんな新一の思いとは裏腹に加奈子は、さらっと答える。
「うん、怖いよ。だから、お兄ちゃんと一緒に行こうって言ってるんじゃない。」
・・・。更に墓穴。ここまで言われちゃどうしたって行かざるを得ない。
新一は、妹に対して見栄っ張りな自分を呪った。

 時刻は、日にちが変わる頃だ。明かりが漏れている窓など一つもない。
暑くも寒くもないけれど、額と背中にいや〜な汗をかき、足が小刻みに震えた。
せめてもの救いは、その暗さでうろたえてる自分の姿が
加奈子に分からないだろうってことだけだった。
新一のTシャツの裾を握りながら、加奈子は付いてくる。
「お、お兄ちゃん…。」
心細さ大爆発と言うような細い声で、加奈子が呼びかけてきた。
「なんだよ、うるさいな!怖いんだったら、帰るか?」
(帰るって言ってくれ、帰るって言ってくれ、帰るって言ってくれ!)
そんな念を込めながら、新一はわざと邪険に答えた。
一瞬加奈子が立ち止まった。新一も、やったか??と期待を込めて立ち止まる。
でも、その邪険な言い方がまずかったらしく、却って加奈子を意地にした。
「絶対、見るまで帰らない。」
ムッとした気持ちそのままの低い声だった。
新一は、自分の頭を殴りたい気分だった…。

 いつもの遊びに通りなれた道とは言え、闇夜では、足元がおぼつかない。
街灯も点いてはいるけれど、電球の光は、その足元を照らすのが精一杯。
大きな石につまづき、道のデコボコに足をとられて、二人は何度も転んだ。
新一はとうとう笑い出す。
「なにやってんだろな、オレたち。ありもしない花を見に傷だらけじゃん。
ばっかだよ、オレたち。」
つられて、半泣きになってた加奈子も笑った。
「あはは、そうだよね、なかったらどうしよう。あはは。」
笑い事じゃないぞと、新一は加奈子を軽く小突いた。

 それでも手探りで背の高い板塀を伝っていく。
(確かもうすぐこの塀が切れるはず。切れたらそこが、木のある空き地。)
ひざ小僧も、てのひらもすりむいて血を滲ませながら、
意地なんだかなんなんだか本人たちも分からないまま闇の中を進む。
と、不意に指先に風が当たって塀が切れることを教えてくれた。
「着いたぞ。」
自分でもビックリするくらい平然とした声が出た。
二人は一緒に塀の向こうへ飛まろび出た。

 名も知らない、でも、馴染みのある木がそこにあるはずだった。
いつも自分たちを見下ろしている穏やかな木が。
なのに、そこにあったのは、全然見知らぬ木。
幹から枝から全てが内側からほのかに輝いていて、
そして、そして…
これでもかと言うくらいにたくさんの花で、身を飾っていた。
枝が花でしなって見えるほどに。
その姿は、あまりにも圧倒的で、声も出せなかった。
二人は、凍りついたように空き地の入り口で、立ち尽くした。

 風に葉擦れの音がした。木が優しく笑ったように聞こえた。

 気がついたときには、自分の部屋に帰り着いていた。
でも、どうやって帰ったのか、記憶がない。
夢を見たのかと自分のてのひらを見ると、泥まみれの傷だらけ。
膝も同じ。
(夢じゃない…。)
ピリピリと痛む傷を見ながら、新一は思う。
ハッとして部屋を見回すと、魂が抜けたかのように加奈子が突っ立っていた。
加奈子も帰ってこられたことに新一はほっとした。
「加奈子、加奈子、大丈夫か! 加奈子!」
小声で呼びかけながら、加奈子の肩をゆすると
加奈子は目を見開いたまま、ゆっくり新一に顔を向けた。
そして、一つ大きく息を吐き出した。でも、まだ目の焦点が合わない。
「お、お兄ちゃん、見た…? あの木の花… 見た…?」
うんうん、と新一がうなずく。
「見た。見たよ。すっごかったなぁ。あの木、薄く光ってた。」
からくり人形じみて、加奈子も二つうなずく。
「光ってた。きれいだった。花、いっぱいだった。でも、ピンクじゃなかったね。」
喋ってるうちにようやく加奈子も正気になってきた。
「うん、ピンクじゃなかったな。あれは…銀色に近かった。」
「へ?」
「え、だから、銀色に見えたなぁって…。」
「違うよ、お兄ちゃん! 真っ赤だったよ!炎みたいに真っ赤だった!」
「え、お前こそ何言ってんだよ。あれは、銀色だったってば。
幹や枝がうっすらと光ってて、その光を受けて、キラキラしてたって!」
口を開きかけて、加奈子が黙った。
それを見て、新一も口をつぐんだ。
なんとも言えない沈黙が、二人の間に流れて、背筋がすぅっと寒くなる。
二人は、黙って布団にもぐりこんだ。今度こそ、ちゃんと眠るために。


 やわらかな春の陽射しを浴びて、名も知らぬ大きな木は、時々思い出し笑いをする。
自分を見て、ビックリした子どもたちの顔を思い出して。
(見るからにやんちゃそうな男の子もいたし、一見大人しそうな女の子もいた。
兄妹でやってきた子もいたっけな。)
さわさわと優しい風に葉をひらめかせて、でも、木は少し寂しそうだった。
(もう、随分長く誰も見に来ないなぁ。)
歩きづらい砂利道が、平らなアスファルトになって、
薄暗い電灯が、煌々と辺りを照らし出す街灯に変わったというのに…。
夜遅くまで、子どもたちは外にいるというのに…。
どの子もとても忙しそうで、誰も名も知らぬ大きな木を見上げることはない。
大きな木の小さな溜息が風に溶けた。
(もう、誰も自分の夢を見に来ないのかな。)

 子どもたちを見守る名も知らぬ大きな木は、子どもたちの木。
夜の闇を超えてくる子たちは、その木の姿に自分の夢の形を見る。
子どもたち自身の夢を花の姿に変えて見せることが出来る木。
子どもたちの木は、今でも自分の夢を見に来るやんちゃな子を
風に吹かれながら、陽をその体いっぱいに浴びながら、時を超え、時を超え
ずっとずっとずっと待っている…。



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