たそがれどきに



若い母親は
赤ん坊をベビーシートで固定しようとしていた。
いつもはすんなりそこに収まるのに
珍しく、ちょっとてこずった。

小さなお兄ちゃんは
いつもなら、先に車に乗せてしまうのに、
そんな日に限って
車のドア近くで待たせていた。

この時期には、珍しくもないトンボが
小さな男の子の横をよぎる。
男の子は手を伸ばすけれども、
その小さくのろまな手に、トンボは捕まるわけもない。

黄昏時。
昼間でも夜でもない時間には
魔物が徘徊すると言う。
その魔物にでも、誘われるように
男の子はトンボを追って車道へとさまよい出る。

家路を急ぐ人の多い時間。
魔に追われているわけでもあるまいに
車も少し飛ばしぎみ。
男の子はせまっていた車のヘッドライトに目が眩み
驚いて動けなくなった…。

その男の子の手を強く引っ張るものがあった。
エネルギー保存の法則か、
引っ張られた男の子の代わりに、
引っ張った者が車道へと投げ出された。

ブレーキは間に合わない。
ただ、一瞬の出来事。
でも、誰をも凍りつくようなそんな一瞬。

ブレーキ痕を残して、車が止まり、
強く引っ張られて転んだ男の子が泣いて、
若い母親は、衝撃で動けない。
道に横たわる人は、ピクリとも動かず、
その体から血が次々とあふれ出し、道路を染める。

次の日の朝、新聞の片隅に小さな小さな記事が載る。
美談として。

飛び出しであってみれば、ドライバーにも重い罪はなく、
いたいけな子どもに罪があるわけでもなく、
多少の落ち度はあれども、
若い母親を罰する法もなく。

可もなく不可もない英雄(?)の告別式では、
取り立てて、陰口を叩く人もない。
その代わり、殊更惜しむ言葉もないけれど。

誰もが、子どもが事故に会うのを見過ごせなかったのだと
そう、解釈した。
それが不自然に思われるような人柄ではなかったために。

でも、その誰もが知らない。
ドンという衝撃の後、宙を舞いながら、
その人が、薄く笑ったこと。
これなら、自殺ってこと、閻魔さまにもばれないねって
思ったこと…。




〜ウィンドウを閉じてお戻りください〜


カット及び壁紙提供の素材やさん
inserted by FC2 system