四季物語 〜春〜

 (黄金の国、ジパング。まさかね。)
キースは、飛行機の窓から見える雲海をみて、軽く笑いました。
(ま、それでも親父が憧れた国だってことには、変わりないけどね。)

 キースの父親は、農夫でした。これと言って、特別なところもない
ごく、普通の農夫でした。
朝早くから夜遅くまで、広大な畑を相手に、天気を相手に
働き続けた、力強い人でした。
その上、力強いだけではなく、ロマンティストでもありました。
忙しい合間を縫っては、よく本を読んでいました。
ジャンルはなんでもありで、昨日は、詩集を読んでいたかと思えば、
今日は、技術書を読んでいたり、
ノン・フィクションの小説を読んでいる日もあれば、
おとぎ話を読んでいることもありました。
幼いキースをひざに乗せては、読んだ本をかいつまんで、
色んな話をしてくれました。

 ある日、秘密を打ち明けるかのような小さな声で、
父親は、キースにささやきました。
「日本と言う国を知ってるか?キース。
遠い東にある小さな国だよ。
その国の人たちは、妖精の子孫なんだってさ。
その人たちの話す言葉には、魂が宿っていて、
その人たちの書く文字は、生きているんだそうだよ。
行ってみたいなぁ、キース。」
キースも一緒にワクワクしました。
でも、それを聞きとがめた母親は、フンと鼻を鳴らしました。
「また、そんな夢物語を・・・。止めてくださいな。
余計な夢なんて、見ないほうがいいんですよ。
くだらない作り話なんて、信じるんじゃないのよ、キース。
それよりも、しっかり勉強おし。」
父親は、キースと顔を見合わせると、ひょいと肩をすくめました。

 キースは、その時の父親の顔を思い出して、ふっと笑いました。
(あの時は、黙ったけど、やっぱり信じていたんだろうな。
遠い国の妖精の国を。)

 キースはカメラマンでした。
今回、アジアを訪れているのは、上海での仕事があるからです。
でも、仕事先の事情で、3日ほど空白の時間が出来たのでした。
アジアでは、こんな予定変更が良くあるものです。
キースは慣れていました。
3日の延期がもしかしたら、1週間になることや
1日だけになることがよくあることも、
だから、よく分かっていました。
 折角来た東の果て。
ならば、この機会を利用しない手はないと、
キースは単身、日本へ向かいました。
遠い昔、父と二人で、憧れた日本へと。

 飛行機が着陸態勢に入って、キースは、安全ベルトを締めました。
雲海をくぐって、地上が近付いてきます。
窓の外へと目をやって、キースは一瞬、目を疑いました。
雲海の下に更に雲海があるように見えたからでした。
でも、それは雲ではなく、一面に咲き誇る桜の花でした。
大気の一番深いところに薄ピンクの層があるように見えます。
(親父、これは、本当に妖精の国かもしれないよ。
そこら中、ピンクの霞のようだよ。)
そっと呟く自分自身にキースは、苦笑いしました。
今まで、たくさんの美しい風景を見て、
それを写真に収めてきたのにも関わらずそう思ったのは、
幼い頃の幻想ゆえと分かっていたからでした。

 けれども、その大きな期待が、失望に変わるのに、
時間は掛かりませんでした。
 この国の、弱者に向けられる目の冷たさ。
異質なものに注がれる視線のとげとげしさ。
白い杖をついている人がいようが、車椅子で移動している人がいようが、
全く注意を払わないどころか、
あからさまに邪魔だといわんばかりの顔つきです。
お年寄りがゆっくり歩いていても、子供がヨチヨチ歩いていも、
突き飛ばして行きそうな勢いです。
道の真ん中で、立ち話して、通りの妨げになっていても、しらんぷり。
携帯のメールばかりに気をとられて、子供を見ない母親。
疲れきって、ドリンク剤をあおる幼い子供達。
不必要に短いスカート、ずり落ちたズボン。
虚ろな瞳で、仕事に向かう人々の群れに、プライドは感じられません。
歩く道すがら、自分が要らなくなったものを投げ捨てていく人たち。
だから、ゴミだらけの街。カラスがそれに群がります。
耳にする言葉は、どこか、澱んだ沼のように
べちゃべちゃとした響きがあります。

 (もちろん、信じちゃいなかったさ、妖精の国なんて。
けど、ここまで酷いとはね。
親父、来られなかったことは、幸運だよ。)
キースは、期待してしまった自分を嘲笑していました。

 桜が満開の夜でした。
キースは、静かな時間を想像していた自分に舌打ちしました。
(これが、花見か…。)
とにかく、飲めや歌えのドンチャン騒ぎ。
日頃の鬱憤をぶちまけるようにお酒をあおり、騒ぎ、
寝ている人もあれば、歌い続けている人もいるし、
酔いに任せて、女性にべたつく男性もあったりします。
目の前で展開される目を覆いたくなるような醜態の数々を
呆然とした思いでキースは見ていました。
勤勉で、はにかみ屋で、いつでも穏やかな微笑を浮かべている
そんな日本人はそこにはいませんでした。
むせ返るような雑多な臭いによろけて、座り込んだベンチには、
先客がいました。
「ほらほら、おじさん、しっかりしなよ。
おじさんの仲間はどこで、宴会やってんのさ。
仲間んところへ戻れる?おじさん。」
見上げると、そこにいたのは、16,7歳と思しき少女でした。
髪の毛は、金髪に近いような茶色、
桜が咲いたとは言え、まだ肌寒い時期に下着が見えそうな
ミニのスカート。
対照的に暑苦しいクシュクシュの長いソックス。
だらしなく開いた胸元には、安っぽいチョーカーが見えます。
「大丈夫さ、君が側に寄らなければね。
妖精の成れの果て。」
キースは、早口の英語で、そう言い捨てました。
すると少女は、キースの顔を覗き込みました。
「ふぅん。お酒に酔ってるわけじゃないんだ?
この空気に悪酔いって訳ね。
にしても、妖精っておじさん・・・。」
そう言うと、ケラケラと笑いました。
「小泉八雲?もう、100年も前に死んじゃってるじゃない。
100年も経てば、世の中変わるんだよ。自明のことでしょ?」
(へえ。見かけによらず、英語も分かるし、ハーンのことにも
すぐ想像が行ったか・・・。)
キースは、ちょっと驚いていました。
「あ、今、こいつ思ったより、バカじゃないじゃんとか思ったでしょ?
おじさん、見かけに騙されるタイプ?」
さくらと名乗った少女は、歯に衣着せず、言い募ります。
(そうかも知れない。)
キースは思いました。
勝手に幻想を抱き、勝手に失望しただけかもしれないと。
キースは、自分が通りすがりのエトランゼに
過ぎないということを思い出しました。
「おじさん、花の下、私と歩いてみる?
大丈夫だよ。お金せびったりしないから。」
そう言うと、さくらは口元も押さえずにカラカラ笑いました。
 さくらとただ花の下をそぞろ歩くだけで、
気持ちが落ち着いてきました。
聞き苦しい雑音が消え、
咲き誇る桜の美しさだけが際立っていきます。
ささくれ立っていた心が鎮まって行きます。
「本当は、それほど変わってないと思う。この国の人。
でも、自分自身を見失ってるよね。
短い時間を生きてるのに、何故そんなに生き急ぐんだろうね。」
まるで他人事のように、けれでも、哀しそうにさくらは言いました。
それは、さくらの見た目と酷くアンバランスでした。

 キースの元に撮影準備のめどが立ったと連絡が入ったのは、
その夜遅くでした。

 「渋滞、酷いね。」
訛りのない日本語で、キースが呟きました。
「すみませんね、お客さん。どうやら、事故があったみたいなんですよ。
もう少し行ったら、裏道に入りますから、
もう少し、お待ちくださいね。」
チラリとキースを見て、タクシードライバーがすまなそうに答えました。
「いや、いいんだ。この道をゆっくり行ってくれ。」
美しい通りでした。
今いる通りとほぼ平行に緩やかな川が流れていて、
川の向こう岸には、桜の花が川を縁取るように咲いていました。
花はもう、散り始めています。
あとから、あとから何かを話しかけるように散る花びらは、
そのまま川面に落ちて、水面を桜色に染めていきます。
 キースが飽かず眺めている桜の木下に
人影が不意に現れました。
桜色の小袖をまとった女性でした。
長く、豊かな黒髪を背中でやわらかに結び、
胸の辺りにゆとりを持たせ、おなかの下のほうで、
きりりと帯を締めています。
その女性は、川向こうからキースをじっと見つめました。
「さくら・・・?」
キースは驚いて、見つめ返しました。
昨日の外見とは、かなり違っていましたが、
紛れもなく、さくらでした。
 さくらは、片手に金の扇を持ち、緩やかに舞い始めました。
その舞はとても静かな舞でした。鼓の音一つ伴わないで。
それでも、散る花を伴奏に華やかな舞でした。
舞い散る花びらそのもののような明るく、儚げな舞でした。
 キースは思わず、シャッターを切りました。
車が動いて、さくらが花に紛れてしまうまで、撮り続けました。
「さくら、ありがとう。」
キースは、そっと呟きました。

 数週間後、キースは仕事の写真と共に、
日本で撮った写真を現像しました。
空港へ向かう道すがら思わずシャッターを切り続けた写真も。
ところが、写っているのは、散り行く桜の木の様子ばかり。
一枚として、舞姫を捉えている写真はありません。
 キースは、暗室の天井を仰ぎました。
「父さん。やはり日本は、妖精の国だったよ。
父さんは正しかった。」
キースは、ゆっくり大きく息を吐きました。



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