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6. 過去の記憶


 五歳くらいの女の子が、それより三〜四歳大きい男の子を追いかけていた。
男の子は、逃げていながら、小さな女の子を待っていて、
でも、それを女の子は気が付いていない。
「捕まえましたぞ。ましろの勝ちでございまする!」
「そうじゃ、姫の勝ちじゃ。」
男の子は、大事そうに女の子を撫でていた。
筒井筒という言葉がぴったりの二人に思えて、思わず、笑みがこぼれた。
 にしても、この男の子なんだか、彼に似ている。それに、ましろ?

 風が水面を乱すようにそのシーンが揺れて、
再び像を結んだ時、幼馴染の二人は大きくなっていた。
「煕繁さま、ましろが、煕繁さまの妻になるお約束があるとは、
真でござりまするか?」
まだ、あどけなさの残る少女が聞く。
「真だ。なんじゃ、ましろは嫌なのか?」
少年がからかうように少女を覗き込んだ。
少女は、何も言えず、ただ頬を赤らめた。
「ましろは、我が妻になる大切な姫じゃ。少々元気が過ぎるが、
我が愛しの姫じゃ、ましろ。」
少女は、上げられない顔を更に赤らめて、小さく頷いた。
少年は、大人びた優しい目で、少女を見つめていた。

 更にその風景が揺れた。
次に見えたのは、大人になった二人だった。ましろは泣いていた。
「裏切り者のわたくしをお許しくださいますな。
お憎み下さりませ。蔑み下さりませ。
そして、永遠に許さず、お心にお留め置きくださりませ。」
頭を深々と下げたまま、歯を食いしばりながら、ましろは言った。
聞いていた煕繁の手が震えている。
「姫のせいではない。姫のせいでは…。」
煕繁は、深く息を吸い込んだ。
「ましろの姫、私の手を取れ。全てを捨てて、私と共に行こう。
そなたを決して手放しはせぬ。そなたこそが、我が姫。」
驚いて顔を上げたましろの視線と煕繁の視線がぶつかって、
暫く沈黙の時間が流れた。
視線をそらしたのは、ましろのほうだった。
「できませぬ。ここで、煕繁さまと行けば、両家ともただでは済みませぬ。
煕繁さまも、わたくしも、結局は、家を捨てられぬ。
逃げても、道は開けませぬゆえ、わたくしは逃げませぬ。」
そして再び、煕繁をまっすぐ見据えて
「側女も悪くはありませぬ。」
と笑った。
「なれどもし生まれ変わったならば、おなごはイヤでございまする。
次は必ずおのことなって 煕繁さまと共に生きまする。
そして、決して家の没落など招かせはいたしませぬ!」
ましろは、泣いてはいなかった。ただ、悔しそうに顔を歪めていた。
「おいとまいたしまする。」
すっと立ち上がったましろの手を煕繁が捕らえた。
乱暴にその手を引き、ましろを抱きしめた。
ましろが煕繁の胸に頭を持たせ掛ける。二人の間に言葉はなかった。
華奢なましろを折れるほどの強さで抱きしめていたのに
ましろがゆっくりと身を離していく。
黙ったまま、煕繁の指の一本一本を離して、ましろは自由になった。
ましろは、前をまっすぐ見て、部屋を出て行った。

 そうだ、思い出した。私は昔ましろだった。
相思相愛の彼と、生木を裂くような別れ方をしたましろ。
それでも、気丈に振舞った誇り高い姫だった。
でも、私はましろに嫉妬する。
彼に―煕繁―に死ぬほど愛されたのは、ましろだ。
私は、ましろの生まれかもしれないけれど、ましろじゃない。
私は、志恵だ。現代の普通の女でしかない。
私は、姫じゃない。愛されているのは、私であって、私じゃない。
 複雑な気持ちで、私は記憶の海をまだ、漂う。

 次に像が結ばれた時、声を殺して泣いているのは、煕繁だった。
病気のせいで、実家に帰されたましろは、
やつれ果てて、別人にしか見えなかった。
ましろが、苦しい息遣いで、途切れ途切れに言う。
「煕繁さま…、ここにおいでに…なってはなりませぬ…。
要らぬうわさ…が立っては…、煕繁さまの…お為になりませぬゆえ…。」
「うわさが何であろう?私は、そなたのそばにいたい。」
ましろは、少し困ったように、でも、嬉しそうに微笑んだ。
そして、ゆっくりと目を閉じると、そのまま二度と目を開くことはなかった。




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