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4. 心の中の木霊


 記憶の海に沈んでいく。思い出の風景がいくつも揺れている。
はっきり見ようと覗き込むと、でも、それらは、消えてしまう。
頼りなくて、もどかしくて、私は途方にくれる。
 「…ん、…恵さん、志恵さん、聞いてますか?」
はっとわれに返ると、田中君が私を覗き込んでいた。
「あ、ごめん。聞いてなかった。なに?」
田中君は、大仰に肩をすくめて、ため息をついた。
「だから、このときの照明ですってば。やだなぁ、ぼぅっとするなんて。
志恵さんらしくないっすねぇ。恋っすか?」
「ばかね。そんなわけないでしょ?」
私は、そう否定したけれど、きっと顔が引きつっていたに違いない。
自分の心が自分のものでないようだった。
仕事をしていても、冷静さと、集中力を欠いた。
心が、休むことなくざわめいて、御しきれない。
それなのに、デザインは、好評だったりするのだ。
「この頃、変わったね。以前の突っ張った感じも良かったけれど、
どこか、丸みを帯びたデザイン、いいよ。うん、いい。
それに、どこか、和風なところも。
このデザインは、いけるよ!」
と、スポンサーが大乗り気だ。
和風?言われて、初めて自分のデザイン画を見る。
確かに…。
使うモチーフが、花鳥風月って感じだ。
それも、古くから着物なんかにあしらわれているような
落ち着きのある仕上がりになっている。
黒い髪に黒い瞳の彼に、これなんか似合いそうだと、
考えてる自分がいて、あわてて頭を振った。
打ち消しても、打ち消しても、あの温かい笑みが消えない。
心ならずも、逢いたいと思ってしまう自分が歯痒かった。
 彼は、あの夜から、現れていなかった。

 「逢いたい…。」
小さな小さな泡が、胸の中で弾ける。私は、あえて、それを無視する。
すると、また小さな泡が弾けるように囁く。「逢いたい…」と。
再び、私は、聞こえなかったふりをする。
小さな泡は、次々と弾けて、胸の中が、泡の弾ける音で、いっぱいになる。
逢いたい気持ちが、木霊する。
目をつぶっても、耳をふさいでも、それを追い出すことが出来ない。
違う、違う、違う、違う!何度否定しても、否定しきれず、
私はとうとう、折れた。
「そう、逢いたい。でも、私には、その術がない。」
私は絶望的に呟いた。
でも、気持ちを口にしたことをすぐに後悔した。
ぼんやり思っていたことを、はっきりと認めた形になって、
圧倒的な孤独感が襲ってきたからだ。
 そうなのだ。私は、彼が誰なのかさえ知らない。
ましてや、連絡を取る術はない。
待つこと以外に私に出来ることはなかった。

 その日も、帰宅は深夜になった。
いつもの疲労に余計な心労も重なって、私はフラフラしていた。
小さな自分の城の、小さな鍵を開ける。
ところが、既に鍵は開いていた。耳の奥で、金属音がする。
「彼だ。」何の確証もなかったけれど、直感した。




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