「あ」〜開ける〜


 「果ての塔」は、その名の通り「楽園」の地の果てにあった。
ひっそりと、だが、楽園の王宮さえ凌ぐ大きさで堂々と。
その塔はかつて、霊力の強い巫女姫が楽園にはびこる
「魔」を封じ込めた時に一夜にして現れたのだと言う。
今でも、そこには巫女姫が居て、その魔を封じ続けていて、
だから、楽園には苦しみがないと伝説は伝えていた。
確かに、楽園に住む人たちは、悪意が無かった。
悲しみを知らず、妬みを知らず、怒りを知らない。
誰もが、いつでも穏やかに笑み交わし、
決して声を荒らげることも無かった。
豊富に取れる作物ゆえに飢えることも知らない。
そこは文字通り、「楽園」だった。

 さて、その伝説をまとう塔には、未だに巫女姫が住んでいた。
霊力の強い姫が、自らを封印の要として。
最初に魔を封印した姫から、300年の年月を経た今は、
もちろん、初代の巫女姫ではなかったけれども。
7代目にあたる当代の姫は、まだ、幼かった。
先代の姫は、歳若くして亡くなってしまったがために、
大きな塔の中で、たった一人で生きていた。
身の回りの世話は、その霊力に抗えずに従った妖魔が
全てをし、何不自由も無い暮らしだったけれど、
姫は、何かが足りない気がしていた。
でも、最初からその類まれな霊力のほか何も持ったことが無い姫は
何が足りないのか分からなかった。

 姫は、自分の存在は分かっていた。
母巫女が、幼い姫にも分かるように噛んで含めるように
ここに居なければならない理由を話していたから。
だから、塔から出て行くこともなく、ただ、そこに暮らした。
母巫女が逝ってしまってから、時間は塔に存在しないかのように思えた。

 楽園にも、異端は生まれる。
時折、冒険好きな人間が生まれる。
なかには、果ての塔を訪れてみたいと思う者もいた。
けれども、いざ、満たされた生活を捨てていくとなると、
二の足を踏んだ。

 走るのが大好きな女の子が楽園に生まれた。
競争を知らない楽園の人々にとって、彼女は異端だった。
悪意を知らない人々は、勿論、彼女の存在も否定しはしなかった。
ただ、彼女の周りには、色の違う空気があると
誰もが感じていた。
そう、彼女自身も。

 走るのが大好きな女の子は、ある日、どこまで駆けて行けるのか
試してみたくなった。
さほどの決心も無く、彼女は走り始めた。
長い髪をなびかせて、どこまでも、どもまでも、走り続けた。
兎に角、息の続く限り、足の動く限り、
遠くへ、遠くへと思いながら。
 やがて、彼女は見つけることになる。
伝説の果ての塔を。

 果ての塔はしんと静まり返っていた。
少女は、恐ろしさ半分、好奇心半分で、塔をぐるりと回ってみる。
入り口は無い。
でも、入れないとなると、入ってみたくなる。
少女は、大きな声で、呼びかける。
「ねぇ! 誰もいないの?」
暫くして、小さな窓がコトリと開いた。
中から可愛い女の子がひょっこりと顔をのぞかせる。
「私、ヘールメ。あなたはもしかして、伝説の巫女姫様?」
「伝説?何?知らないわ。私は私よ。『封印する者』。」
あどけなく、少女は答える。
「ねぇ、出ておいでよ。一緒に遊ぼう。」
「遊ぶ?何?分からない。それに、出られないよ、私。」
「出入り口が無いから?」
「違うよ。私が『封印する者』だから。」
「ちょっとくらい、いいじゃない。大丈夫だよ。」
ヘールメが手を伸ばして、封印する者の手に触れる。
姫は塔の外の世界をじっと見詰めた。
おぼろげながら、自分が欲しいと思うものが見える気がした。
ヘールメの手は温かく、外は輝かしく、姫は自らの孤独を知る。
巫女姫は、思わず、自分の役目を忘れて、
小さな窓から身を滑らせた。

 要を失った封印は、もはや封印ではなかった。
小さな地鳴りがしていることに、誰も気が付きはしなかった。
そして、今、闇がこの世に放たれる。
扉は、開け放たれた…。




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