こっちだよ。


 明かりの消えた夜の遊園地は月夜に黒々と翼を休めている怪鳥のように見えました。
「静かだな…。」
ひっそり呟いた言葉が闇に消えていこうとしたとき、園内の電飾が突然パパパと点き始めました。
近くのメリーゴーランドからはどこかおかしな音楽が流れてきます。
「な、なに?」
驚いてメリーゴーランドへ目をやると、木馬は頭の方へではなく、
しっぽの方向へと逆回転しています。
流れてくる音楽もそれに合わせ逆さに流れていて、ヘンに聞こえたのはそのせいでした。
段々スピードを上げて逆回転する木馬に気分が悪くなり、私は軽く目を閉じました。

 次に目を開けると、そこは砂漠でした。狂ったように照りつける太陽と、
見知らぬ色の砂の世界。
一歩踏み出すごとに足元から砂の崩れが広がって次々に姿が変わり、
同じ形をとどめない砂は乾いた波のように見えました。
激しい日差しに焼かれて体中がジリジリ焦げていきます。
喉も枯れ果てて声すら出せません。
砂に足をとられて倒れこんだその目の前に何の動物のものなのか、
白茶けた骨が無造作に転がっていました。
うろたえて飛び退くとその勢いでサラサラと骨が砂へと返っていきます。
それは、数日後の自分の姿そのものに思えて、私は恐ろしさのあまり砂の中にへたり込みました。
「こっちだよ。」
そのとき、手が差し出されました。手の主を見ようと顔を上げたのに、逆光でよく見えません。
「こっちだよ。」
顔が見えなくても分かる微笑んだ声で手が呼んでいます。
私はその手を取ろうと手を伸ばしました。
きつすぎる光が目に入り、私は一瞬目をつぶりました。

 次に目を開けると、そこは雪原でした。吹きすさぶ吹雪に目が痛んで開けていられません。
でも目を閉じたら、まぶたが凍りつき二度と開けられないような気がして、
腕で目を庇いながら片目を何とか開けました。
目に入ったのは黒と灰色だけの世界。色彩のない世界でした。
吹き付けてくる風は刃物よりも鋭く、身を切り裂くような痛みを残していきます。
風を避けようと周りを見回しますが、吹雪が激しすぎて何も見えません。
前後左右どころか、上下の感覚すら見失ってしまいそうです。
私はとにかく吹き飛ばされまいとつかまるものを探して手を伸ばしました。
何かに触ったのでそちらを見ると、目に入ったのは葉を緑に茂らせたまま氷に閉じ込められた倒木。
時を止め、朽ちることすら許されないその姿に
さっきまでとはまた違う寒さが背筋を這い登ってきました。
そのとき、
「こっちだよ。」
ゴウゴウと耳の中一杯に広がる吹雪の音を抑え、耳の奥に届いた温かな声。
顔を上げると色のない世界の中、目の前に差し出されたその手にだけ色がありました。
「こっちだよ。」
もう一度耳に届いたその声の向こうに温かな光が見えた気がして、
私は急いで手を伸ばしました。
そのとき一際強く吹きつけた雪の一片が目を刺して、その痛みにぎゅっと目をつむりました。

 何も見えない真っ暗な中で、逆さのメリーゴーランドの音だけが聞こえていました。
ところが、その音がふいに止まったと思うと、
今度はゆっくりと耳慣れたメロディーに変わっていきます。
そのとたんに世界がぐらりと傾いた気がしました。

 目覚めるとそこは、白い壁とカーテンに囲まれた空間でした。
私はベッドの上、いくつもの管につながれて囚われの身でした。
口にはまるで言葉を封じるように酸素マスク。私はゆっくりと目を開いていきました。
目が光をとらえるごとに頭がガンガンと痛みます。
体も重たく痺れていて、指一本動かせる気がしません。
それでも様子が知りたくて無理やり首を傾けました。
手首とひじに包帯の巻かれた愚かな自分の腕が見えました。
そして、その手をぎゅっと握り締めている手も。
 この手だ、と思いました。苦しい夢の中、光のほうへ優しく呼んでくれたのは、と。
でも、手は呼んでくれただけです。その手に手を伸ばしたのは私。
光の世界を、希望の世界を、生きるものの世界を選んだのは、驚くことに私自身でした。
 まだ力の入らない手にそれでも精一杯力を込めて握られている手を握り返しました。
まだ、その人は眠ったままだけれど、きっとこの言葉は届くはず。
「ただいま。そして、呼んでくれてありがとう。」



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